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2019.11.9 DEMO.labシンポジウム講演内容

第4回1部「建築のつながり」岩田厚(建築家 岩田厚建築設計事務所代表)

大阪
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慈照寺
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「日本建築」と聞いてどのような建物を思い浮かべますか。 

これは昨年「建築のつながり」と題したお話をした際、最初に皆さんにお聞きした問いです。覚えていらっしゃいますか。僕は最終発表を含めて2度ワークショップに参加させていただきました。その時のことを振り返りながら、今思うことをここにまとめたいと思います。
 
レクチャーは1時間ほどの短い時間でしたが、皆さんもよくご存知の銀閣寺の建物※1を入り口としてお話をしました。古くからの日本の建築の成り立ちをお話することで、日本という国を、世界の歴史の大きなうねりの中で捉え、その上で日本らしさというものはどこにあるのか、ということを考えていただけるように内容を組み立てたつもりです。そのガイドラインとしたのが、当日ご紹介した、松岡正剛氏の「17歳のための世界と日本の見方※2」という一冊です。

応仁の乱の後、8代将軍足利義政が京都東山に東山殿の造営を始め、その観音堂(銀閣)が上棟したのは1489年のことでした。室町時代は現代と地続きの文化、芸能、しきたりなどが確立されたと云われている時代です。京都には今もなお比較的多くの室町建築が残っていますが、中でも銀閣は、侘び寂びといった表現も含めて、私たちがもっとも日本らしさを感じる建物のひとつだと思います。では、ここで感じる「日本らしさ」とは一体どのようなものなのでしょうか。 

室町時代まで日本のほとんどの建物は平屋でした。多層構造の建物が無かったわけではありませんが、それは例えば東寺の五重塔や東大寺の南大門のように、主にシンボルとしての機能を中心に据えたものに限られていました。それに対し銀閣では、1階の書院造風住宅(日本風)の上に、全く異なる建築スタイルである禅宗様仏堂(大陸風)の2階が積み重ねられています。そして、斬新なデザインであるだけでなく、上下階ともに別々の用途を持ち合わせています。分類で言えば楼閣建築となりますが、銀閣の100年ほど前に北山に建てられた金閣※3と同様に、当時でも珍しい種類の建物でした。

1  正確には東山慈照寺観音殿ですが、レクチャーでは通称の銀閣と呼びました

2  「17歳のための世界と日本の見方」:松岡正剛、春秋社、2006.

3  鹿苑寺舎利殿 1398年頃完成, 1階-寝殿造り形式住宅風, 2階-和洋仏堂風, 3階-禅宗様仏堂風

金閣や銀閣のデザインのように、異質なもの同士を組み合わせて、別の新しいものへと昇華していくことを「折衷」と呼びます。建築の分野に限らず、古の時代から強く大陸の影響を受け続けてきた日本は、独自の表現を生み出すために様々な折衷の方法を育んできました。松岡氏は現代における折衷の分かりやすい例として「たらこスパゲッティ」を挙げていますが、レクチャーでは神仏習合の歴史に伴った寺社仏閣建築の造形変化や、明治期の擬洋風建築などの具体例を通して、建築と折衷の関係についてお話をしました。室町時代に限らず、この折衷という手法を起点として、造形や表現に対する多くの美意識が生まれましたが、現代の私たちの美意識もやはりその延長線上に位置しています。 

東寺五重塔
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東大寺南大門
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金閣寺
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銀閣寺
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銀閣寺-2
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銀閣寺断面
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銀閣寺内部1階
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銀閣寺内部2階
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また、浦島太郎の物語を題材として、時間と空間を捉えるというお話をしました。浦島は助けた子亀の背中に乗り竜宮城へと連れられ、しばしの饗宴を楽しみ地上へと戻りますが、その間に故郷では何十年という月日が流れていました。失意のあまり、浦島は開けてはならないと渡された玉手箱を開け、最後には白い煙に包まれお爺さんになってしまいます。この馴染み深いストーリーの原話は、8世紀に編纂が完了した日本書紀の中に既に綴られているそうです。
 
ここで物語の大きな特徴として、時間と空間の大きなねじれをまるごと引き受けたままストーリーが展開を続ける、ということが挙げられると思います。その際、物語の受取り手である私たちは、ストーリーの細部のつながりを意識するだけでなく、全体を「捉える」という姿勢を求められます。実はこれは日本の古典の世界を理解するのにとても大切な感覚です。今はあまり見られなくなってしまった和室の床の間の意匠や、草庵の茶室の構成にも「捉える」という感覚がよく現れています。

少し難しく感じられるかもしれませんが、自分の立ち位置によって体感する時空間が伸縮するというのは、私たちも日常的に経験していることです。例えば、授業中の60分と友達と過ごす60分、校庭の5mと家の中での5mを思い浮かべてみてください。まるで違うもののように感じられるはずです。その感覚を拡張したところに浦島太郎を置いてみると、物語がまた違って見えてくるかもしれません。 

今では助けた子亀の母亀が浦島を背中に乗せて竜宮城へ送ったり、数年後に成長した子亀が改めて浦島を迎えに来るという物語設定になっている場合もあるようです。ただ、この浦島と亀のサイズ調整の間に抜け落ちてしまう世界観があるように感じませんか。

そして、平安時代の庭園書である作庭記から「立石は乞わんに従う」という内容もご紹介しました。庭に石を置くにあたってはその石の希望に従って場所を決める、という手法なのですから、ここではデザインする主体とデザインされる対象物との関係性の入れ替わりや重ね合わせ、混じり合いを目指しているということがわかります。もちろん石が話をすることはありません。様々な解釈がありますが、僕は、感受性のアンテナをギリギリまで研ぎ澄ませ、全ての状況を自身のものとして吸収した後に、初めて主体的な表現をする、ということではないかと考えています。ただし実践には修練が必要です。能や華道にについても簡単に触れましたが、一流のスポーツ選手や音楽家たちもまた同じ世界を見ているのだと思います。

 
ここまで一部の例をお話しただけですが、日本という国は、このように様々な表現手法を織り重ねることによって、独自の美意識にもとづく固有の世界観を作り上げてきました。 

浦島太郎
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芬陀院
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八窓席
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04-4_光明院
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一方、日本で室町文化が栄えていた頃、ヨーロッパはルネサンスの時代でした。キリスト教中心の世界から再び人間中心の世界を模索するべく、イタリアを発端に様々な文化芸術運動が起こります。その際規範とされたのが、キリスト教支配のもと1000年もの間封印されてきた古代ギリシャ・ローマ文明の学問や知識でした※4。それに伴い当時の建築家たちは、アテネのパルテノン神殿やローマのコロッセオなどに見られる柱のオーダー※5を中心に添えた建築様式を、200年以上の時間をかけて再解釈・体系化し、その新しい様式表現の中に、建築思想を含めた人間文化の根源に触れる絶対美を見出すようになります。そして17世紀に入ると、この建築様式は印刷技術の発展とともに徐々に世界中に伝播し、日本を含めた各国の建築造形に取り込まれ、各々の地でそれぞれの発展を遂げました※6

Parthenon
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La_Rotonda
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建築四書
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大英博物館
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whitehouse
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水海道小学校_水戸_1881
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ClaudePerrault1676
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4  古代ギリシャ・ローマの学問や知識はイスラム文化圏に継承されていましたが、ラテン語翻訳を通して再びヨーロッパへと伝わります

5  Five Orders of Classical Architecture.

6   アンドレア・パラディオの建築、アメリカ合衆国官邸ホワイトハウス、大英博物館、旧水海道小学校本館などを参照しました。他文化からの影響にもとづいた折衷による発展は日本に限らず歴史を通して世界中で起こっていました。

建築には「建築」というジャンルそのものが、何千年と抱え続けてきた命題があります。その命題とは人類が地球上で生きるという行為と密接に関わったものです。京都駅ビルの設計をした建築家の原広司氏の「集落の教え※7」という本から「ある場所の伝統は他のいかなる場所の伝統でもある」という言葉を引用しましたが、人間が生きることに対し正面から向き合って作られた建築には、必ず時代や場所を越えたつながりを見出すことができます。その一例として「織田有楽斎の如庵とル・コルビュジエのラ・トゥーレット修道院」、「桂離宮の書院とUNスタジオのメビウスハウス」、「チューリッヒにあるル・コルビュジエセンターと桂離宮の松琴亭そしてカメルーンの民族建築」の間にある関係を考察しました。

京都駅
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如庵_日本名建築の美より_h1335
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ラトゥーレット修道院
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ルコルビュジエセンター
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松琴亭
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松琴亭_2
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桂離宮
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UNスタジオ_メビウスハウス
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カメルーン民族建築
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建築や都市をもっと深く理解したいと思うのであれば、優位性や特異性の競い合いに決してとらわれることなく、根底に流れる共通項を抱きかかえた上での、それぞれの独自性に着目する姿勢を持ってみてください。すると、なぜ銀閣の美しさは海外の人の心にも響き、なぜ私たちはヨーロッパの古い街並みに懐かしさを感じるのか、というようなことも理解できるようになります。そして、その先に世界が限りなく広がり続けます。 

安藤忠雄氏を筆頭に、SANAAや隈研吾氏、坂茂氏の建築が海外でも高く評価されているのはなぜだと思いますか。逆に日本では、フランク・ロイド・ライトから始まり、アルヴァ・アアルトやカルロ・スカルパ、アルヴァロ・シザなどのデザインが根強い人気を持っていますが、その理由はどこにあるのでしょう。こう見ていくと、目の前の造形だけでない建築の魅力と面白さを感じられませんか。

7 「集落の教え 100」:原広司、彰国社、1998.

さて、最後に少し現在のお話をしようと思います。昨年とは状況が大きく変わり、またたく間に世界中に広がったウィルスがもたらしたものは「分断」そのものでした。内と外とを分けて線を引くというその行為は、世界の物理的な分断だけでなく、人々の考え方や行動にも大きな影響を与えました。世界中がそれぞれの良識や常識、小さな正義で溢れかえり、未だに正解の見えない混沌とした状態が続いています。 

さらには、このパンデミックをきっかけに、これまで経済活動の裏に隠され見えにくくなっていた数々の問題が、国内外を問わず明確に浮き彫りになりました。特に日本では、経済格差や雇用格差の問題、メディアや政治の腐敗、税金の不透明な使われ方、人種差別、表現の自由、学問の自由、平等な教育、性差別、移民・難民の問題、少子化、環境問題など、その全てが身近な現実として一気に私たちに降り掛かってきました。 

皆さんはこれらの問題をどう考えていらっしゃいますか。100%正しい答えなどありえないということは承知の上で、僕は「この国は何かがおかしい」と思うことが以前よりも圧倒的に増えました。 

建築文化や都市環境は、経済活動を含めたその社会構造とは切っても切り離せない関係にあります。上にあげた問題のひとつひとつは、自分自身の毎日とは一見距離があるように思われるものでも、時に長い時間をかけて、また、時に気づかぬほどの短い間に、私たちが住む街にはっきりとした変化をもたらします。 

最終講評会で拝見した映像作品は、そのどれもが浜松という街を生々しいまでに活き活きと描いていました。それは皆さんが、それぞれの思いと発見とストーリーを映像表現へと変換しコミュニケートする、という非常に困難な作業に対し正面から向き合ったからだと思います。どの作品もすばらしいものでした。 
それでは、皆さんが拾い上げた浜松の街の断片はこれからどうなると思いますか。将来生まれるであろう街へのさまざまな感情はどこへ向かうと思いますか。僕は、皆さんが感受性の翼を目一杯広げて自分自身の思いを公の場で表現することが憚られる時代となってしまうかもしれない、ということを深く危惧しています。 

今の日本は実体の無い「らしさ」で溢れています。レクチャーの最後に「住宅メーカー」と「住宅・建築家」を検索ワードにしたGoogleの画像検索結果をお見せしました。そして、検索システムのフィルタリングの中の狭く限られた領域内で、瞬時に画像情報のみのデザインが飛び交い循環している現状の危うさもお伝えしました。 

ただ、これはデザインの世界に限ったことでしょうか。 

皆さんには本物を見抜く力が養われているはずです。また、本物とはひとつの真理ではなく、数多く並行して存在しうるということも肌で感じられているはずです。それは、これからの社会を生き抜くために間違いなく必要とされる力です。 

[写真引用元] 

金閣外観:   Wikimedia Commons 

銀閣断面図および内観: 日本建築史基礎資料集成 十六 書院1, 中央公論美術出版, 1971 

浦島太郎挿絵: Wikimedia Commons 

金地院八窓席: 京都市文化観光資源保護財団ウェブページ 

ヴィラ・ロトンダ外観: Wikimedia Commons 

柱のオーダー図面: Wikimedia Commons 

ホワイトハウス外観: Wikimedia Commons

如庵内観:  日本名建築の美, 西沢文隆, 講談社, 1990 

メビウスハウス外観: UN Studioウェブページ

カメルーンの民族建築: History of World Architecture - Primitive Architecture,Enrico Guidoni,  Electa/Rizzoli, 1987 

※その他の写真は岩田が撮影