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Works

2025

高校生ワークショップ・プログラム(2025ー2026)

珍しいと思って撮った天気雨が、

映像にするととても見えにくかった。

 

 

 

 

 

 

 

動いていないように見えて、実は動いているもの。

すなわち、

「自分の意識の外で動いているもの」に興味をもった。

 

 

 

 

 

 

そこで、我々が日常生活で見落とす動きと、見落とさない動きを1つの映像にしてみることにした。

私は「自然と人工の融合」をテーマにしました。

 

 

 

 

皆さんも、町中を歩いているときにコンクリートの隙間からたんぽぽが生えていたり、家の壁にツタの植物が張り付いてたりするのを見たことがあると思います。

 

 

 

私は、そのように人々の生活圏や物に植物が存在している様子を「自然と人工の融合」と表現しました。

 

 

 

 

自分達に適していない環境をひそかに生きる植物から感じ取れる自然の「力強さ」。私はその姿に心打たれ、身近にある「自然と人工の融合」を見つめ直すことにしました。

私は繋がりをテーマにしました。特に、川が流れる様子や、川の上をつなぐ橋といった、物理的なつながりをメインに作りました。

 

 

また、私が昔よく遊んでいた川をとり、過去から現在へと流れる時のつながりも意識しました。時が経って変わってしまったものもあれば、変わらなかったものもあります。

 

 

 

私は過去の楽しかった思い出を人より大切にする癖があり、過去の記憶にとらわれてしまうこともありました。

 

 

 

制作を通して、私なりに思い入れのあるものをまとめ、未来へほんの少し進むことができました。私自身の時の流れ、故郷に流れる川を通して、皆さんにも身の回りの繋がりについて、考えてみてほしいです。

日常から一歩外れた日常
 

 

 

 

 

 

いつもの風景の中のちょっとした違和感やつい目を惹かれるものに注目しました。

 

 

 

 

 

 

 

出来るだけ平日の登下校中(いつも繰り返す日常)でいつもと違う道を通ったりイヤホンを付けないで街中の音を感じたり、いつもと少し違う事をして見えてくるものを集めました。

道を歩いているとき、ふと寂しいなと感じることがあります。

なんてことのない道なのに、自分ひとりの孤独さというか、空間の中にいるのに、自分だけどこか違う所に取り残されてしまったような気持ちになります。

小野先生のお話を聞き、それをテーマに映像を撮ってみようと思い、このような作品を作りました。しかし撮っているうちに、空間とは何なのだろうかという疑問が出てきて、答えが出せないままもやもやしていました。

空間の中は止まっていたり、絶えず動いていたりします。四方を囲まれていなくても、どこまでも境目なく続いていても空間というのか。ずっと動いていても空間というのか。そんなあやふやなものの中で私達は生きていくのか。空間とともに生きているのか。答えが出ず、いろいろと混ざって更に迷うなかで、私は知らない間にどこか空虚な気持ちになっていたのかもしれません。だから寂しい、と気づかないうちに感じていたのかもしれません。ワークショップを通して、空間との共生という、今まで向き合いも気づきもしなかった一面に出会うことができました。空間とは何なのかという答えは出ていませんし、この先もわからないままかもしれませんが、自分なりの空間との共生の一歩は、映像を通して踏み出せた気がします。

 私は、何気なく見ている日常の、改めて見ると不思議だなと思える場面を集めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私のどうでもいいことを

考えすぎる癖を役立てて動画を作りました。

私のテーマは「支持機能と他律」です。

 

 

 

​私がこのテーマを選んだ理由は、映像ワークショップが始まった

​ばかりの頃、家の前の電柱にムクドリがびっしりととまっていたことにありました。

 

 

 

指示機能や他律の話を聞いたとき、自分の頭の中では多数のムクドリが家の前でシャワーのようにフンを落としているところが浮かびました。

 

 

 

ンのせいで電柱の下をくぐるタイミングがなく、私は家に入れずにムクドリのせいで動きを制限されていたことに気づきました。それを撮ろうと思ってこのテーマに決めました。

何気ない日に潜んでいる、光・影・音を重点的にまとめながら、自分の心情ともリンクしながら新たな気づきや発見にも繫がるというのをメインにまとめました。

私のテーマは「指示的機能と他律」です。

 

 

これを撮ってみたい!と決めてみても上手くいきませんでした。

だからただただ街を歩いているときにふと目にとまったものをとってみました。部活のあとに浜松城に行ってみたり、あえて新しい道を通ってみたり…でもなんとなく心に残った映像は自分が普段通っているものばかりでした。

 

映像を撮るにつれて自分と街との距離が少しずつ掴めてきました。

 

夜の勉強の帰りは街が怖くて仕方なくて一人だけ疎外されているみたいで、家族とともに街に出かけたときは街が私を見守っているように思えました。

 

この映像を通して自分と街との関係を認識できた気がします。

これから私はこの街とどうやって関わっていくのかまだ分かりません。この街を出ていくかもしれないしずっと住むのかもしれないです。

 

まだ判断なんてできないしわからないけれどただ自分の存在を街に押し付けるだけにはなりたくはないような気がしました。

​DEMO.lab WORKSHOP@広島​​ 2025

平和都市広島に暮らす人々の生活を探す作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

計画された都市の中で見つけた人々の暮らしの営みを映しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

丹下健三氏を中心として作られた都市が、年月の経過とともに変化した様子も楽しんでいただける作品です。

本作は、戦後復興の象徴として建設された広島市営基町アパートを観察した映像作品です。
 

私の断片的な視線を通して浮かび上がるのは、住民が日常の中で残していく痕跡です――エレベーターの扉に刻まれた言葉、玄関先に置かれた椅子、壁に貼られた手書きの張り紙、緑地の片隅に置かれた瓶、半ば公共的な空間に吊るされたタオル。
 

これらのささやかな行為は、建築に記憶を刻み込み、私的と公共的とが交錯する場所にしなやかな境界を生み出します。

 

 

かつて負のイメージを背負った基町住宅は、現在では多様で国際的なコミュニティとして機能しています。
 

私にとっても個人的な響きを持つ場所です。中国で同じような大規模集合住宅に住んだ経験があり、基町で出会った「痕跡」にもまた、人が空間に親密さを与える力を感じ取ったからです。

最初にショットを撮り始める前に、広島の都市は何で構成されているかについて考えました。

 

私は広島県外の出身で広島に対する印象として、規則正しく大きな建物が多く並んでいること、大きな建物の中に小さな原爆の跡が残っていることです。

 

大きな建物が強調されていて無機質に並んでいるようにも感じます。
一本裏通りに入ると街の雰囲気がガラッと変わります。小さな建物が増えてきて、人々の生活のようなものが見えてきます。さらにもっとスケールを落として街の様子を観察すると、街の息遣いのモト(源)のようなものが見えてきます。

 

今回私は街の息遣いのモトとなる、普段あまり目に止まらない・日常に溶け込んでいる小さなものたちに視点を当て、ショットを撮りました。
 

例えば、風に身を任せなびく洗濯物、人々に忘れられた錆びた看板、なぜか道の端にある狸の置物など。そういった小さなものたちがたくさん集まって広島という都市が構成されている映像となるようにしました。
 

像の中で街をさまよいたくさんのショットを見る中で、新たな広島が見えてくるのではないかと思います。

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

2024

高校生ワークショップ・プログラム(2024ー2025)

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

2024

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

​スペース定規

DEMO.lab WORKSHOP@広島 2024

点字ブロックを「レール(軌道)」として都市を漂流・観察していくと、本来つながっているはずの道が、横断歩道やエレベーター前などで頻繁に途切れていることに気づかされる。

 

この経験を通して、都市は「つながり」だけでなく、「断絶」によっても構成されていることが見えてくる。そして断絶は単なる欠落ではなく、人に思考の余地を与える契機として現れる。

 

映像の終盤に登場する、横断歩道の縞模様に合わせて白とグレーに塗り分けられた点字ブロックは、断絶の内部に潜む“つながり”を象徴しているように思われる。

 

本作は、都市の中に存在する、つながりと断絶が交錯する「あいまいな領域(グレーゾーン)」を映し出している。

 

小野淳
 

目的を持たず、気の向くままに都市を漂流するなかで、彼女が最も惹かれた場所は、広島の川辺の空間であった。観察(漂流・デリーブ / dérive)を通して、その水辺には原爆ドームや雁木、住吉神社など、複数の歴史や時間が重なり合っていることが見えてくる。

 

そして同時に、その場所には過去の自分の記憶や、現在の自分の痕跡も刻まれていることに気づかされる。

 

一度は削除された、周囲の風景を反射する球体のオブジェ(立体作品)のショットが再び日の目を見る。

 

その映像は、まさに今、自分がこの場所に痕跡を残している瞬間の表明として強く印象に残る。彼女が辿り着いた場所が、7年前の通学路でもあったことは、過去と現在の自分が交差する、意味ある偶然の一致(共時性)として映し出されている。

 

小野淳

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

「子供の目を通した都市空間はどのようなものなのだろうか?」
大人は子供の視点で物事を見ることはできない、そのような視点で見ているだろうと推測するのみである。

 

そこでこの映像の制作者は、小学校3年生の弟に協力してもらって子供のリアルな視点で広島の街を映像化することを思い立つ。
 

広島の街を撮る弟に寄り添って、観察(漂流・デリーブ/ dérive)する中で、子供のリアルな視点は推測するのみであるが、観点、つまり見かたや見る方法、考え方は共有できることに気がつく。
 

対話を通して、弟の撮った映像を単に編集して作品を作るのであれば、それは分業であり、コラボレーションとは言えない。また大人と子供のふたつの視点を比較するような表現は二項対立に陥ってしまう。弟の視点の中に自分の視点を潜り込ませることが課題となる。
 

観点の共有が弟の作品でもなく自分の作品でもない二人のコラボレーションになり、「二人の感じた広島」を表現することになるだろうということが導かれていく。
 

映像の中で、「どこに行きたいか」ではなく、弟に直感で方向を選ばせることの表現として「こっちに行きたい」という音声が強調されている事が示すように、目的を持たずに偶然に巡り合った最初の公園と、その後に芽生えた明確な「目的」を持って探し出された次の公園の意味は違うものである事がわかる。
 

次の公園に行くまでの間、公園と公園の間に差し込まれる、縞模様を一つ飛ばしで歩いていた横断歩道とその先に見える建物の映像は、都市の中で目的を見つけた二人の喜びが溢れ出ている。

 

小野淳

2023

高校生ワークショップ・プログラム(2023ー2024)

2022

高校生ワークショップ・プログラム(2022ー2023)

2021

高校生ワークショップ・プログラム(2021ー2022)

2020

高校生ワークショップ・プログラム(2020ー2021)

2019

高校生ワークショップ・プログラム(2019ー2020)

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

2018

高校生ワークショップ・プログラム(2018ー2019)

大学生ワークショップ・プログラム

Visiting School Osaka 2018

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

​スペース定規

2017

高校生ワークショップ・プログラム(2017ー2018)

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

​スペース定規

高校生ワークショップ・プログラム #17 最終講評会

浜松学芸高等学校および浜松市立高等学校の生徒ととも

大学生ワークショップ・プログラム

Visiting School Osaka 2017

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